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平和の尊さ心に刻む 小学生親子が広島市平和記念式典に参列

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平和の尊さ心に刻む 小学生親子が広島市平和記念式典に参列

 平成21年8月6日、肌を刺すような強い日差しの中、今年も広島市の原爆死没者慰霊式・平和祈念式(平和記念式典)が行われました。本村からも小学生親子3組と村代表、教職員代表が参列しました。原爆犠牲者に祈りを捧げ、核兵器の廃絶を願い、そして平和への誓いを新たにしました。
 ここでは、派遣されたみなさんが感じた「平和への思い」を紹介します。
木原小6年 青野太一(受領)
木原小6年
青野 太一
(受 領)
 僕は、初めて広島に行きました。広島での原爆の話は本などで知っていましたが、もっと知りたくて申し込みました。
 初めて行った広島は、「世界平和」「核兵器撲滅」などの言葉であふれかえっていました。平和記念資料館では、原爆の被爆資料を見ました。そこでは、曲がった鉄骨、たれ下がった皮膚、黒こげた弁当、こんな状況で生き残った人たちは奇跡、幸運だったと思います。けれど、その場所を見てしまった人は、とても悲惨だったと思います。
 世界が平和になるために、僕らが世界の平和を訴え続ける必要があると思います。

青野克美(受領)
青野 克美
(受 領)
 「新しい命が生まれ、未来につながっていきます。それは「命の奇跡」です。」これは、平和への誓いの中にあった言葉です。
 平和な世界のために、今私達が出来ることは、とても小さなことかもしれません。しかし、昭和二十年八月六日、あの日、広島で起きたことを、今を生きている私達が「考え」「感じ」そして「伝えていく」ことが出来さえすれば、きっと「命の奇跡」は未来へつながっていくと思います。
 今回、親子で平和記念式典に参加させて頂き、平和の大切さ、命の尊さを改めて学ぶことが出来ました。

安中小6年 若林優花(土浦)
安中小6年
若林 優花
(土 浦)
 私は、原爆を落とされた人たちがどんな思いで過ごしてきたのかを知りたいと思い参加しました。
 初めて降り立った広島は、とても暑く大勢の人でにぎわっていました。
 写真などで知っていた原爆ドームも、実際に見てみると想像以上に原爆の激しさが伝わってきました。
 平和記念資料館では、皮膚が焼け落ちている人の模型があったり、兵士さんが着ていた服や持っていた時計などが展示してありました。生まれた時から平和が当たり前と思っていた私は、数え切れない人達のつらく悲しい体験があるからこそ、今の私達があるということを強く感じました。

来栖よし子(土浦)
来栖 よし子
(土 浦)
 初めての広島、今回孫と参加させていただきました。
 何もかも初めてで、見る風景、そして生で見た原爆ドーム。痛々しく見させていただいた資料館。目を背けたくなるような光景、原爆の恐ろしさ、怖さに身につまされる思いでした。被爆者の体験談。六十四年前の記憶を私たちの前で、赤裸々に話してくださいました。
 最愛の家族を亡くし、辛かった被爆後の話を涙を流しながら話しているのを聞いて、大変なご苦労があったのだなあと感じました。核の恐ろしさや命の尊さを改めて、次期世代に伝えていかなければならないと、痛切に感じました。

大谷小6年 渡邊勝喜(天神台)
大谷小6年
渡邊 勝喜
(天神台)
 僕は、この三日のうちによく学んだことが二つあります。
 一つ目は戦争のこわさです。多くの人々を殺して自国のために戦争を起こした人たちは、僕はとてもヒドイ人たちだと思いました。二つ目は、戦争で命をなくした人たちのことをとても悲しく思いました。命をなくした人の数は約二十六万人以上。その中には赤ちゃんや小学生、体全体に火傷をして皮膚がたれ落ちている人や、洋服のあとが体についている人たちがいました。
 昔のことが色々聞けてよかったです。最後に、戦争は絶対にあってはいけないと思いました。

渡邊しのぶ(天神台)
渡邊 しのぶ
(天神台)
 私は、今回初めて広島を訪れました。平和記念式典では、大勢の方が参列している事にとても驚きました。また色々な国の人達が、皆平和を願っているのだという事が改めて分かりました。式典で平和への誓いを聞いた時、とても気持ちが良かったと同時に平和への尊さを改めて実感する事が出来ました。資料館の展示資料の悲惨さにはとても驚き、悲しい気持ちになりました。
 今も被爆者の方々が、たくさんいる事に心が痛みました。これから先、未来を担う子供達に戦争などない平和な世界の大切さを伝えていかなければならないと痛感しました。

小泉輝忠(村議会議員)
小泉 輝忠
(村議会議員)
 献水、市内十六カ所の清水。平和記念式典の始まりです。六十四年前の昭和二十年八月六日八時十五分、晴天、原爆投下、熱線、爆風、放射線、夏の暑い広島に水を求める市民、被爆体験をされた植田先生の講話を聞くことが出来ました。友達や家族を一瞬にして失ったことなどを話されました。被爆国日本、広島、長崎のことを忘れることなく、戦争のない明るい世界平和、人類の夢を祈念し、非核、平和宣誓、村民の一人として、今回の体験を今後の人生の中で語り継ぐことが責務と感じます。

中島賢一(教育委員長)
中島 賢一
(教育委員長)
 広島の平和記念式典に参列する為当地を訪れ、被爆された街や人々の様子を資料館で目の当りにする機会を得ました。今まで戦争による悲惨な出来事に目を向ける事なく生きてきた自分に深い自戒の念を抱きました。被爆された植田さんのお話の中に
 「私達個人は小さな力ですが、皆が真実を語り伝える事により、大きな力となり、核のない平和な世界がやってくる事を信じて話をしている。」
 この言葉こそが、私達が考え行動する原点であり、大人も将来を担う子供も、戦争、平和について真剣に考える時を持ちたいと思いました。

小松正樹(安中小校長)
小松 正樹
(安中小校長)
 現在の広島市は大勢の人々が行き来し、巨大なビルが林立する百十七万都市です。破壊しつくされた痕跡は感じられません。しかし、ここには原子爆弾により命を一瞬で消された人、家族や家を失い悲嘆に暮れた人たちが大勢いるという事実があるのです。
 「真実から目をそむけないでほしい。」被爆者の方が被爆体験講話の中で話されました。資料館に展示してある被爆で焼け焦げた衣服の実物、道端に転がる炭のようになった死者や焼けただれた皮膚を写した多数の写真。これらを事実として次の世代に伝えなければと強く感じました。

《敬称略》

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